特別インタビュー

臼杵に語り継がれる祈りの全体像

臼杵の歴史的背景や「うすき祈りの回廊」の見所について、臼杵市教育委員会文化・文化財課長にお話を伺いました。

 臼杵の町が文化的に発達していった理由は、大きく分けて2つの理由があると思います。
 1つは自然環境。臼杵は平地が少なく、昔から水田には不向きな場所といわれてきましたが、目の前には波が穏やかな臼杵湾が広がっています。だから臼杵では、海を介した交流が盛んに行われてきたんですね。臼杵にない物は他所から持ってくればいい。そして、臼杵の物を他所に送ればいい。そういうコミュニケーション能力に長けた人たちが昔からいて、臼杵の文化は栄えていきました。
 もう1つの理由は、灰石(はいいし)という阿蘇山の噴火でできた阿蘇溶結凝灰岩。臼杵にはこの石が豊富にあり、灰石を最大限に活用して生活の道具や信仰の道具を作るようになりました。この石は加工に適しており、木彫りの技法を生かした繊細な造形が可能なんですね。臼杵磨崖仏の柔和な美しさも、灰石の存在あってこそだと思います。
 その臼杵磨崖仏も、地元の技術者だけでなく都の一流仏師が彫っていることがわかっています。地元の石を材料に、他所の人が持ち込んでくる文化や情報、芸術的センスを生かして造られた文化財が臼杵には多く残されています。これは、他者を認めて受け入れる当時の臼杵の人の精神性を表しているようで興味深いですね。それは海を通じて入ってきたキリスト教も同じで、他者に対して寛容な人々に受け入れられ、浸透していったのではないでしょうか。地理的要因と、臼杵の人の精神性。これらの要素が融合して、臼杵では独特の宗教文化が発達していきます。

 仏教・神道・キリスト教に関する史跡などがいずれも国指定の文化財になっているのは、日本でここだけではないでしょうか。仏教では国宝・臼杵磨崖仏ですし、磨崖仏がある一帯は史跡に指定されていて、その中に特別史跡の神社である日吉社があります。キリスト教は下藤キリシタン墓地ですね。伝来も習慣も違った3つの宗教の痕跡がコンパクトにまとまって存在しているのも大きな特徴です。つまり、どの宗教の史跡も壊されずに現代まで遺されているということが素晴らしいんですよ。
 キリシタン文化が開花した時も、臼杵磨崖仏はあのままの姿で遺されていた。本当なら宣教師が、異教の遺跡を壊すこともあり得たはず。キリスト教が禁教とされた時代にも、下藤キリシタン墓地や寺小路磨崖クルスは密かに守られてきました。それは「一流のものは、いつの時代のどんな宗教のものも素晴らしい」という、臼杵の人ならではの感性と寛容さによって守られてきたのだと思います。その結果、九州の地方都市にすぎない臼杵に、日本一流の建築物や遺跡がたくさん現存することになりました。

 「うすき祈りの回廊」では、個々の寺院や遺跡だけを見るのではなく、異なる宗教のものが今も遺されているという俯瞰的な目線で見てみてください。そうすることで、臼杵の町に受け継がれてきた祈りの全体像が見えてくると思います。いろいろな場所を巡るなかで、多くの歴史の痕跡に出会うでしょう。そこから「最も優れたものは何か」を追求し、作りあげ、遺してきた、古の臼杵の人の思いを感じとってもらえたら嬉しいですね。


(臼杵市教育委員会文化・文化財課長 神田高士)

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