国宝臼杵石仏と石の造形美

国宝臼杵石仏

臼杵石仏

山肌の凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏『臼杵石仏』は、石仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていませんが、地元に伝わる伝説「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」によれば、長者が亡くなった娘の菩提を弔うために彫らせたといわれ、仏像の様式などから平安時代後期から鎌倉時代の作と推定されています。

その磨崖仏の規模と、数量において、また彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、平成7年6月には磨崖仏では全国初、彫刻としても九州初の国宝に指定されました。

石仏の数は、古園石仏、山王山石仏、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群の4群の60余体にもおよび、このうち59体が国宝となっています。
千年の風雨に耐え時を経ても、深田の地にひたむきな信仰のあかしを今もなお残しています。

古園石仏

古園石仏

臼杵石仏の中心的存在の古園石仏は、全13躯で、中尊には大日如来坐像をすえ、その左右にそれぞれ如来像2躯、菩薩像2躯、明王像1躯、天部像1躯を配しています。

中尊の大日如来は、以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座に安置されていましたが、保存の為の修復に合わせ、平成5年に仏頭も現在の見事な姿に復位されました。

山王山石仏

山王山石仏

山王山石仏は、全3躯で、中尊には丈六の如来坐像をすえ、その左右には脇尊として小さめの如来坐像1躯ずつを配しています。
仏像のお顔は輪郭が丸く、目鼻はこじんまりとして邪気のない純真無垢な童顔そのものです。

ホキ石仏第一群

ホキ石仏第一群

ホキとは、「がけ」という意味の地名で、ホキ石仏第一群は4つの龕(がん)に分かれていて、向かって左より第一・二・三・四龕となっています。
第一龕と第二龕はともに如来坐像3躯を配し、第一龕はさらに脇侍菩薩立像2躯を配しています。

第三龕は大日如来坐像を中心に、その左右に1躯ずつの如来坐像、さらに左右に1躯ずつの菩薩立像を配しています。第四龕は左脚を踏み下げて坐す地蔵菩薩像を中心に、その左右に十王像を配しています。
第一龕の青年期と第二龕の壮年期の仏像の間に、結婚の仲立ちをする弓と矢を持つキューピッド役の愛染明王のお姿があります。

ホキ石仏第二群

ホキ石仏第二群

ホキ石仏第二群は、2龕(がん)に分かれていて、第一龕は中尊に阿弥陀如来坐像を配した三尊像です。第二龕は比較的小さな九体の阿弥陀如来像が刻まれています。中央に裳懸座に座す阿弥陀如来坐像、その左右に4躯ずつの阿弥陀如来立像を配しています。これらの左右に1躯ずつの菩薩立像を配するが、向かって左の菩薩像は原形をとどめていません。

臼杵石仏周辺の石造物

深田心の小径(こみち)

深田心の小径

臼杵市に中華人民共和国の敦煌市(とんこうし=中国甘粛省北西部の都市)から、日中両国の偉人の言葉を刻んだ石碑50基が寄贈され、市はこれらの貴重な石碑を臼杵石仏公園に設置しました。
2007年に石碑設置の完成を祝い、孫玉龍・敦煌市長らを迎えて完成記念式が行われました。
この地域には国宝臼杵石仏があり、緑豊かな自然に囲まれ心癒される場所であり、この偉人の言葉を刻んだ「深田心の小径」が、人生を見つめなおす場として散策することもできます。

備 考:平成6年(1994年)臼杵市と中国の敦煌市は友好都市を締結しました。

臼杵石仏周辺の石造物

臼杵石仏周辺の石造物

伝説によると、臼杵石仏の造立に縁があるとされている真名長者の発願により蓮城法師により創建された「満月寺」の境内には、鎌倉後期の作といわれる「宝篋印塔」、膝から下が埋もれている「仁王像」、真名長者夫婦像」、「蓮城法師像」などの石造物が残されています。
また、臼杵石仏から少し山に入った場所に「五輪塔(ごりんとう)」があります。大きい方の石塔には、嘉応2年(1170年)の銘があり、在銘の石造五輪塔としては、日本で二番目の古さを誇る貴重な文化財です。

石仏公園ハス畑

石仏公園ハス畑

石仏公園には四季おりおりの花が咲いています。なかでも7月から8月には大輪のハスの花が咲き誇りその様子はさながら極楽浄土のようです。

石橋

臼杵には数多くの石橋が残されています。

虹澗橋(こうかんきょう)

虹澗橋

文政7年(1824年)に架設された現在の臼杵市と豊後大野市の市境にある石橋です。
江戸時代、三重村の年貢米を臼杵城下に運ぶ難所であったため、臼杵と三重の豪商が架けたといわれ、平成11年(1999年)国の重要文化財に指定されています。

音羽橋(おとはばし)

音羽橋

明治45年(1912年)に架橋された臼杵市高山高須地区へ渡る石橋です。高須地区出身者の麻生音波氏が出資して架けたといわれ、市の指定文化財に指定されています。

その他の石橋

戸上橋(とのうえばし)は、明治43年(1910年)に架設された野津町寒田国道10号線から見える石橋です。
その他、近戸橋(臼杵市乙見地区)、仮屋橋(野津町竹下地区)、久保橋(吉小野地区)、白馬溪八橋(馬代地区)など多くの石橋が残されています。

その他の石造物

臼杵には数多くの石造物が残されています。

臼塚の石人

臼塚の石人

古くは「臼塚さま」と呼ばれていた稲田地区にある「臼杵神社」の鳥居をくぐると右側に高さが1.5mほどの石人が二基並んでいます。
その形が甲冑(かっちゅう)に身を固めた武人に似ているところから、石甲(せっこう)とも呼ばれています。
この神社がある小高い丘のようなところは、今から千五百年以上前の古墳時代に築かれた前方後円墳で、この墳墓に立てられた石人は、ここに葬られたものを守衛する番兵としての役割を果たしていたと考えられています。
この石人を臼(うす)と杵(きね)に見立て、臼杵という地名はこの石人から起こったものであると、この地域では語り伝えられています。

九重塔

九重塔

文永4年(1267年)に造られた鎌倉時代の層塔として大分県を代表する石造美術品のひとつです。国の指定重要文化財に指定されています。

門前石仏

門前石仏

臼杵川沿いの門前地区の小さな谷間にあります。臼杵石仏と同じように凝灰岩に刻まれた磨崖仏です。
全部で七体彫られていますが、中心をなすのは中央の大きな三尊です。三体は岩質や自然環境のせいか破損がひどく、如来を中心に左右に菩薩像が配置されているのではないかといわれています。

払川石仏

払川石仏

臼杵石仏や門前石仏とはもう一つ制作年代を異にする石仏が臼杵にはあります。それは、払川地区にある「払川石仏」と呼ばれているものです。
集落のちょうど中ほどに、市内三十三所の札所の一つとして知られている慈航庵(じこうあん・通称観音堂)というお堂があり、東西に細長くのびる境内には五十数体の石仏が安置されています。この地域の信仰の深さがうかがわれます。

風連鍾乳洞

風連鍾乳洞

閉塞型の鍾乳洞のため、風化が抑えられ、日本一美しいと評判の風連鍾乳洞です。
夏でも非常に涼しく、「竜宮城」、「ヘリクタイト」、「端雲ノ滝」、「天上界」それぞれ独特の形をした鍾乳石を堪能できます。

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